母親の体験談

1996年3月は私にとって大変動の時でした。私は“絶え間なく活動している”母親で、“のんびりする”ということがどういうことなのかを知りませんでした。私達の家族が精力的であることは周知の事実で、やらなくてはならないことがあれば、それをやるのが私だったのです。「私にできるかしら?」などと考えることは決してなく、「どうやったらいいかしら?」ということばかり考えていました。しかし、家族をおそったがんの診断はこうしたことの全てを変えてしまいました。

来年のことやスケジュール、イベント、日常生活などはもはや私自身のものではなくなりました。困難なスタートを切りましたが、もちろん私もほとんどの母親がするのと同じ役割を果たすようになりました。問題点を絞り込み、自分の役割を変えなくてはいけないと悟るのに長くはかかりませんでした。私はもはや忙しい母親ではなくなりました。私はがん患児の母親であり、最後には「がん経験者の母親」という肩書きに変わることを強く望んでいました。それ以外の選択肢は一切ありませんでした。

私の仕事は、娘を支え、娘のために役立つことでした。それは病院や家で1日24時間、週7日間を娘のために過ごすことを意味しています。私はこれを喜んで受け入れようとし、また、すぐにそうすることが特権だとも思えるようになりました。それは今まで想像したことも望んだこともない役割でしたが、人生を変えるような節目でした。

これを成し遂げるために私は医師、看護師、家族、友人、そして私自身の信念を頼りにしました。この事態を自分がコントロールするのではなく、受け入れる謙虚さを強いられることになりました。周囲の他の人たちが私たち家族に寛大だったので、私はこの役割を果たすことができたのです。

このような危機の最中には、家庭内の危機の多くは大抵忘れられてしまいます。全ての責任を果たすために、私たちは、周囲の人たちから寄せられた時間やお金、愛情などのギフトをどう受け取るべきかを学びました。この不安定な時期を通じて私たちが学んだことは、のんびりと暮らすことと周囲の人を受け入れることです。それによって友情はより深まり、人生に対する感謝の念もはるかに増すということがわかりました。

「この生活は一体いつになったら終わるのだろう?」とよく思いました。その上、数日間だと思っていたことが実は数週間になっていて、気付くとすぐに数週間は数カ月になっていました。時間がどんどん流れて、先の見えない日々はすぐに終わるだろうという希望をずっと抱き続けていなくてはなりませんでした。

1997年2月28日、娘から中心静脈ラインが外され、表向きは治療が終わりました。その後1年間は3ヵ月ごとに医師の定期検診を受ける生活へと移り、さらにその間隔は6ヵ月ごとになり、最終的には年1回になりました。

1996年3月のあの日から8年が経ちました。私たちの生活は変わりましたが、互いに愛し合って一緒に過ごす時間がどれほど大切であるかをこんなにも学ぶことができたので、本当にいい方向に変わりました。

ナンシー(小児がん経験者の母親)

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