患児の想い①『がんという国への留学』

「がんという国への留学」

by 坪内雄介

 小学5年生の時にユーイング肉腫と診断され、長期入院を余儀なくされました。 当時まだ、林間学校も行っておらず、親から離れた事すら無い自分にとって、 入院というのは本当に恐ろしいものでした。 「がんが恐い」というよりは、友達と離れるのが嫌だ、親と離れることが嫌だ、 そういった気持ちの方が強くありました。

 自分の入院した小児病棟には、産まれてまもない子から大学生まで、幅広い年齢層の人達がいました。始めは全く馴染めず、自分のベッドに引きこもりで、家に帰りたいと毎日のように泣いていました。
ある日、隣のベッドの中学生が、一緒にゲームをしようと誘ってくれたのをきっかけに、少しずつその世界に馴染んでいきました。 抗がん剤治療は辛いものでしたが、入院生活は楽しくなっていきました。自分が全く知らない世界の友達との交流。見た事の無い映画を一緒に見たり、無理矢理大喜利をやらされては本気でダメだしをされたり、まだ踏み込んだ事の無い大人の話(笑)を聞いたり。 特に音楽に関しては、後に自分の人生を決める程強く影響を受けました。毎日が新しい体験の連続でした。
 治療自体は順調に進み、8ヶ月の入院生活を経て、退院することになりました。

 その後は再発も無く無事に成長し、大学生になり、アメリカとインドに留学する機会がありました。
そこで体験した、異文化との交流や新たな知識の発見、新しい出会い、それら全てが、自分が入院したあの経験にそっくりだと感じました。

 「病気を伴った留学」それが入院だったんだと。

 今よりも治療の研究が進んでなかった10年前、同じ時期に闘った友達の何人かは、天国に行きました。自分がここに残れたのは、「帰国」できたのは、本当にたまたまでした。 自分が友達の代わりに生き残ったというある種の使命感、入院中に築かれた友人関係、異世界での経験での成長。 それらは確実に自分を強くしてくれました。

 成長と同時に独立心が強くなり、大学では自分が闘っていけるものを探すため、起業塾に通い、ITベンチャーなど3社でインターンをし、留学生支援のWEBサービスを、米国の国務省の資金援助を受けて立ち上げたり、様々なことにチャレンジしました。最終的に、入院中自分が一番強く影響を受けた音楽の分野に関わるものでいこうと決断し、まだ日本で浸透していない音楽のPRを専門的に行う事業で、大学卒業と同時に独立しました。

 これから先、研究は進み、がんが確実に治る日はそう遠くないと思っています。
「小児がんという国の留学」からの帰国率は100 %に達すると信じています。そうなった時に入院というのは、より留学という意味が強いものになると思います。

 自分は「留学」経験者として、当時の自分と同じように入院して落ち込んでいるこどもたちに、自分の活動を通して、「その経験は将来凄いものになる」と伝えることが出来たらいいな、と思っています。

日本語版更新:2020年10月

 

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