終末期に際して

 重い病気にかかったこどもの親にとって、「息子や娘がいなくなってしまったら人生がどうなるか」と考えることは、つらいことです。いくら考えないようにと思っても、心の中に浮かんできてしまいます。そして、「この子がいなくなったら、自分自身、自分の配偶者やパートナー、残されたこどもたちのために生き続けるのは、どのようなことなのか」と思うこともあるでしょう。
 そのような考えや感情は表れてもよいのです。

 決して悪意ではないのですが、「そういうことを考えないで」と言う人もいるでしょう。しかし、こういう考えが浮かび、罪悪感やわが子を裏切っているように感じるのは、よくあることです。患児がいない毎日を想像することは、どの親も経験していることなのです。

 

親同士の意見が合わない時

 両親の一方が「あらゆる治療を試したい」と思い、もう一方が「終末期ケアに移行したい」と思うことがあります。「終末期ケア」というと、「親は、患児の旅立ちを受け入れる心の準備ができた」と誤解してしまうかもしれませんね。
 問題は、心の準備ができているか否かではありません。患児の様子と発する言葉から、それぞれの親が「何が最善か、別々の答えを出そうとしている」ということなのです。たとえ治癒や完解の可能性が低くても、ここまでみんなで病気と闘っています。かなり強い治療を行わない限りは病気をコントロールできないという場合、どの患児の親も「どうすればいいのか」という問いに直面するのです。

 死生観の違いは、「悲しみへの向き合い方はその人ごとに違う」ということです。正しい答えがあるわけではありません。ほとんどの場合、自分も自分のパートナーも、すでにこのことに気付いているのです。それでも、夫婦や家族、周りの人との間で違いが表面化したときに、怒らず、傷つかず、不満を抱かないようにするというのは難しいことです。

 ほとんどの場合、他の人が気を遣っていないのではなく、自分の気持ちをうまく表すことができないだけです。自分自身も、どんなに一生懸命やっても、どれだけ共感しようとしても、本当に他人の立場に立っていなかったかもしれません。柔軟で寛容にならなければ、決断するつらさと喪失の悲しみをひとりで背負うことになります。 
 自分の気持ちを、患児のケアチーム、ソーシャルワーカー、臨床心理士、カウンセラーに話してみましょう。こういう問題はよく起こります。経験豊かな専門家は、家族の全員がお互いに支えあうようサポートをします。

 

患児のきょうだいへの対応

 患児の終末期にきょうだいにも関わりを持たせることで、「自分は患児に必要とされている存在なのだ」という気持ちが芽生えます。患児ががんと診断されてから、きょうだいは落ち込んだ姿は見せないかもしれません。しかし、彼らにとっては、親からあまり気に掛けてもらっていないような寂しい気持ちがあったはずで、そのような気持ちを解消させる時でもあります。

 思い出を共有することは大切なことです。誰もが大切にしたいという思い出は、「あの子と一緒の時は・・・」とか、「あの子は自分と遊ぶのがとても好きだったな」というようなことです。患児と一緒に絵を描いたり、ゲームで遊んだり、テレビやビデオを観るなどのシンプルなことが、きょうだいには心の支えになります。
 こどもたちだけで話をさせてあげてください。おとなが一緒にいるよりも、こどもたちだけの方が自由に話をするかもしれません。何よりも、このような想い出をつくることで、こどもたちは愛情だけでなく、自分が病気や治療に貢献したという気持ちで、患児を思い出すことができるでしょう。

 多くの親は、患児が呼吸器を使用していたり、沢山のチューブにつながれていたり、ICU(集中治療室)にいる時、きょうだいに会わせるべきか迷います。そういう場合には、付いている装置が何のために使われているのかを説明してあげると良いようです。彼らはそうした装置のことよりも、患児と一緒にいることに集中する、という傾向があります。たとえ現実がつらいことでも、きょうだいにとっては、患児が何を経験しているかを想像するより、実際に目で見る方がはるかに良いこともあります。患児が返事をできなくても、何を話したいかをきょうだいに準備させることもできます。
 きょうだいが患児に会いたがらない場合には、決して無理強いをしないでください。そういう時は、行きたくない理由を聞くことで、彼らの不安や苦しみを克服することになります。スカイプなどのビデオ通話や、病院での様子を写真で共有することで、お見舞いに行ってみようという気持ちになるかも知れません。
 病院にチャイルド・ライフ・スペシャリスト(医療チームの一員として、こどもや家族に心理社会的ケアを行う専門職)がいれば、きょうだいにも病気や治療について説明してもらってください。また、時間が許せば、家族と一緒にお見舞いに立ち会ってくれます。

 

患児の祖父母への対応

 祖父母は、病気の孫のことだけでなく、自分のこどもである親も大変な思いをしていることに心を痛めています。何とか助けになりたいと思っていますが、何をしてあげたらよいのか分からないのです。患児の最期が近づいている時に一番つらいのは、いつ、何が起きて、その時が来るのかが分からないことです。それは、親にも祖父母にも耐えがたいことです。祖父母は、自身のこどもである患児の親が、また孫が非常につらい思いをしているのを見て不安になり、自分が入ってみんなの苦しみを和らげたいと思うのです。

 意思決定に責任を持つことができなくても、祖父母にはできることが沢山あることを理解してもらいましょう。たとえば、患児のきょうだいを見守りながら一緒に過ごしてもらい、質問に答えたり、なだめてもらうことは、とても大切な役割です。家事や雑用も任せることができれば、親は終末期の患児と多くの時間を過ごせるようになります。祖父母が家へ泊まりに来たり、祖父母の家で患児のきょうだいを預かってもらう場合もあるでしょう。祖父母が泊まりに来る場合、広さが十分に無い場合や高齢の人には不向きなつくりの時は、泊まる場所をどうするか一緒に考えましょう。
 また、祖父母が遠方にいる場合には、患児やきょうだいの両方に、度々に電話を掛けてもらう、メールや手紙を送ってもらうと、こどもたちは愛されていると実感することができます。祖父母がプレゼントを贈りたいとうことであれば、こどもたち全員に平等に贈るように頼みましょう。
 自分自身に置きかえてみましょう。もしも自分のこどもが困難な状況にあるとしたら、何をしてあげたらよいでしょうか。たとえ祖父母の対応が十分ではなくても、感謝の気持ちを伝えるようにしてください。

 

周囲の人への対応

 友人が人生の重大な危機に直面している時の対応の難しさは、みなさんご自身の経験からすでにお分かりでしょう。どのように話しかければよいのか、どのようなことが役に立つのかが分からず、その話題を避けた記憶があるでしょう。何かを言った後で、「自分は不適切な言葉で傷つけたのではないか」と考えたかもしれません。自分が困難の時、周囲の人もこの経験をしているのです。

 「話したいこと」と「話さなければならないこと」があります。配偶者やパートナー、家族、医療チームとは多くの話しをします。しかし、時には、自分の話を聞き、意見を言ってくれる友人が欲しいと思うでしょう。大きな声で言えば言うほど、心が痛くなります。強い不安や恐れを感じ、自信が持てず、引き裂かれるような気持ちは、死に直面している患児の親が抱く感情です。自分のしていることが正しいのかどうか悩むのは普通のことですが、結局のところ、このような難しい決断をする人はあまりいません。ふと気付いた時には、以前なら想像さえできなかったようなこと(例えば、病理解剖や臓器提供の可否、葬儀のことなど)を考えてしまうかもしれません。友人は善意で「そのようなことを考えないように」と言うかもしれません。しかし、たとえ恐れていても、いずれ来るものに備えようという自分の思いから来ることを、自分自身がよく分かっています。ですので、自分自身の気持ちに従うようにしましょう。

 “時間はとても貴重です。友人や近所の人からサポートの申し出があれば、患児と配偶者やパートナーと過ごす時間を増やすためにできることを考え、遠慮せずに頼んでみましょう。犬の散歩や買い物などを依頼することでサポートする友人も気持ちが落ち着くし、自分自身も休息を取るなど有意義な時間になります。

 

医療者の気持ち

 患児の医療チームにとっても、気持ちがかき乱される時期でもあります。患児を治すことができない挫折感、怒り、自責の念が起こる場合があります。単に治療や看護をするだけではなく、一緒にがんと闘う仲間としての喪失感、患児を大切に思うことから悲しみが沸いてきます。

 医療チームの中には、このような気持ちを表す人もいますし、何を言えばいいか分からずに戸惑う人もいることでしょう。大勢の難病のこどもに向きあってきたにもかかわらず、彼らがこのような気持ちになるというのは、意外に感じるかもしれません。

 彼らもみなさんと同じで、不安で心もとない気持ちを持っています。時には、無愛想だったり消極的な態度だったり、ということもあります。そして、事態が変わることを願っているのです。

 もしも、医療チームの中に、「ネガティブな感情の人がいる」と感じられる場合、可能であれば、そのことをチームの誰かに相談しましょう。誰にとっても感情的になりやすい時ですが、みなさんと治療チームのエネルギーのすべてを患児のケアに集中させる必要があるからです。
 治癒を目指す治療を中止することは、治療そのものを中止することと同じではありません。医学的ケアや支持療法と同様に、患児の身体的、感情面、精神的、患児の存在そのものに関するニーズに気を配ることは、ケアを続けるためにはとても重要なことです。

 

旅立ちが近づいて

親の要望例:

  • 最期まで患児を入院させておきたい。
  • 患児を家へ連れて帰りたい。
  • 患児の人生最期の数時間か数日間、病院に戻ってサポートを受けたい。
  • 病院、ホスピス、自宅のいずれかで終末期ケアを受けたい。

 また、最期が近づいた時に誰が立ち会うかも考える必要があります。


家族の要望例:

  • きょうだいも立ち会う。
  • 祖父母、その他の親族、ともだちなども立ち会ってもらう。
  • 患児に、誰にいて欲しいかを相談する。
  • ホスピスなど施設のスタッフに、病院か自宅で一緒にいてくれるよう依頼する。

 

日本語版更新:20205
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